いつかのいい日のために・・

昨日、数ヶ月前にいった山元加津子さんの講演会のことを思い出していました。養護教員として子供たちに接しながら、多くの本を書き、また各地で講演をされている方です。

私はこの方の本を読み、また実際に講演会に出向いて、この人はなんてあたたかい人なんだろう。なんてまっすぐで素直な人なんだろうと、すごく大きな衝撃を受けました。

今年の初め、この人に出会えたことは本当に大きかったなぁと振り返っていたところに郵便物が届きました。私がいった講演会を主催なさったチームひまわりさんから、講演記録として冊子が送られてきたのです。とてもビックリしました。なんていうタイミングなのでしょう。

講演会でのお話はどれも心を揺さぶられたのですけれども、その中のひとつが記録として書かれていたので少し長いのですけれどもご紹介したいと思います。人の中にある愛の力の大きさにいろいろなことを感じさせたれたお話です。

文章をそのまま掲載させていただきますが、多分山元加津子さんもチームひまわりさんも、たくさんの方に子供たちのこと、宇宙の秘密のことを知ってもらいたいと願っていらっしゃるのではないかとも思いますので、ご了解いただけると思っています。心からの感謝を込めて。
山元加津子さんのブログ「いちじくりん」にも掲載されています。

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「大好きはうれしい?」  山元加津子 

しょうくんは高校二年生でした。
ずいぶん小さいときから、しょうくんは肉以外は口にしませんでした。

おうちの方も、学校でも、もっといろんなものを食べて欲しいと思って、野菜やお菓子、他のいろいろなものをすすめるけれど、しょうくんは決して食べようとしませんでした。

無理に食べさせようとすると、しょうくんは、キーというような高い声を悲しそうな様子で出して、そして、大きな声で電車の駅を始発駅から言い続けました。

そしてそのうちに真っ青になってバタンと倒れてしまったり、そのショックから何日も肉さえも口にできなくなってしまうのでした。

そのとき、しょうくんは高校二年生でした。一緒に組んだ男の先生が「このまま卒業させていいんですか?おいしいものはいっぱいある。僕は少々荒療治でも、他のものを食べさせたい。何もしなくていいのですか?」と言いました。

そしてその日の給食で、しょうくんに野菜をすすめ、しょうくんの口に野菜を持っていこうとしたときに、しょうくんは自分の手で頭を打ちつけ、大きな声で電車の駅を言い続け、抱きしめてもしょうくんは駅を言うことをやめられず、バタンと倒れてしまったのでした。

その次の日にお休みをするかなと心配をしたけれど、しょうくんが学校に来てくれました。
そして朝、しょうくんは、私に尋ねました。

「大好きはうれしい?」どうして、そんなことを尋ねたのかな?わからなかったけれど、「そうね、大好きはうれしいよね」と言いました。

「嫌いは悲しい?」続けて聞くしょうくんに「そうね、嫌いは悲しいね」と言いました。しょうくんは「どうしてですか?」と言うのです。
「どうして、大好きはうれしくて、嫌いは悲しいですか?」
私は答えられなくて「本当ね、どうしてだろう」と言うばかりでした。

給食のとき、ちょうどその男の先生は他へ出かけていて、私としょうくんで食事をとっていました。いつものように肉を食べていたしょうくんは私に、そんなことを言ったことがなかったのに、「かっこちゃんは、しょうくんがキューリ食べたら嬉しい?」と聞くのです。私はまた「そうね、うれしいなぁ」と言いました。

そのあと、私は、お昼休みに児童生徒会があったので、しょうくんに「食べ終わったら食器片付けて、教室へ言ってね。ごめんね。今日は私、先に行くね」といいました。児童生徒会は休み時間いっぱいありました。

五時間目がはじまって、教室へいくとしょうくんがいないことに気がつきました。あれ?まだ教室にいるのかな?時間に正確なしょうくんが遅れるなんて・・・と不思議に思いながら教室に行ってもしょうくんの姿はありませんでした。

廊下を歩いていると、しょうくんが駅の名前を言い続けているのが聞こえてきました。あ、大変。声のする食堂へ入っていったときに、しょうくんは、お箸の先にキューリをさして、口に持っていこうとしていました。私はそこに立ち尽くしてしまいました。

しょうくんは何度も、口に持っていこうとして、また駅の名前を大きな声でいい、震えていました。そしてとうとうキューリを口にいれて、急に吐き気がしたのでしょう。オエーという音でキューリが口から落ちました。それでも、まだしょうくんは、やめようとしませんでした。駅の名前を言い続けながらキューリを口に入れました。

思わずそばにいって「しょうくん、無理しないで」というと、しょうくんは「かっこちゃん、キューリ食べるとうれしい。キューリ食べるとしょうくんのことが大好きです」と言いました。私のことばでしょうくんは無理にキューリを食べようとしてくれていたのです。

「ごめんね、しょうくん。キューリを食べるしょうくんも、キューリを食べれないしょうくんも私、大好きだから」けれどもそれを聞いても、しょうくんはキューリを食べるのをやめようとしませんでした。そして、涙目になって、キューリをごくりと飲み込みました。

そして、にっこり笑って「しょうくん、キューリ一個食べました。かっこちゃん、しょうくんが大好きです」「そうよ、大好きよ。私、しょうくん大好きよ」涙が止まりませんでした。

そしてその次の日、やっぱりオエーっとなりながら、しょうくんは、キューリを2つ食べました。「しょうくんはキューリ二個食べました。かっこちゃん、しょうくん大好きです。」

そしてそれを機会に、しょうくんは野菜を食べるようになりました。
私はしょうくんが言った「どうして大好きはうれしくて、嫌いは悲しいですか?」という言葉を思い出していました。

これまでたくさんの人がどんなにしょうくんに野菜を食べさせようとしても、食べられなかったのに、しょうくんはたった一人自分の力で、キューリを食べることができるようになりました。

「大好き」がうれしいということは、生まれつき、私たちの心の中におそらくは備わったこと。私たちは大好きという気持ちのためなら、がんばれたり、ものすごく勇気が出せたりするのでしょうか?

宇宙の約束はきっと愛なんだと私、なんだかそんなことを考えています。
by m_alchemia | 2009-06-25 21:25 | 日々の想い