「楽しい」一日

先日箱根神社で引いたおみくじはこんなふうに書いてあった。

・・元気一杯つとめましょう。

 暗い思い淋しい思いは、朝の拝信の拍手の音に打ち消して

 すがすがしい気持ちと朗らかな思いで、楽しく、しあわせに過ごしてまいりましょう。・・

神社にお参りすると必ずおみくじを引くのが習慣になっているのだけれど
こんなに分かりやすくシンプルな言葉を受け取ったのは記憶がない。

ネガティブな思いは、その原因などつきつめようとしても分かるわけはない。
ただクリアにすればよい。ただただ楽しく心地よく過ごしていけばいいのですよ、と
ホ・オポノポノについてしばらく考えていた身にはなんだかピッタリな言葉だなぁと思ったものだ。

ところでこの間のクラスの時に「よく言われる楽しい一日ってどういう感じのことをいうのかよく分からない」という話をいただいた。けれども私はあえて、楽しいとはどういうことかをつきつめるよりも、もし「楽しい一日」という言葉がしっくり来ないのであれば、しっくり来る言葉をみつけてそのように一日一日を過ごしていくのはどうだろうかと提案をさせていただいた。

その方は「心地よい一日を過ごす」というのであれば大丈夫そうだということだった。

じつはそれからずっと私にとっての「楽しい」とは何かを考えていた。考えながら思ったことは「楽しい」というのは捉えづらいけれども、「楽しくない」場面というのはかなりとらえやすいということだった。

以前曽野綾子さんが「幸せは抽象的だが、不幸せは具体的だ」と言っていたけれど、本当にそのとおりだと思う。病気であるとか、食べ物がないとか、仕事がないとか、不幸せの種はあげればきりがないけれども、幸せとはそれらがそんなに深刻ではない状態という置き換えられるのだろうと思う。

人間を含む動物というのは本能として苦しみや痛みや不自由というものの方をより具体的に捉えられるようにできているのかもしれない。

自分が幸せかどうかはよく分からなくても、少なくとも不幸せな点がパッと思いつかなければ、それはかなりの線で幸せということなのではなかろうか。

というわけで、おみくじにあるようにありがたく楽しく心地よい一日を過ごさせていただこうと思っている。

私は最近ほどほどの幸せというものが好きになってきた。
少なくとも20代の頃にはありえなかった感覚だ。
もっとも何かを学ぶということに関しては以前よりもずっと時間をかけて奥を知りたい気持ちが強くなってきた。
それはたぶん地上における幸せに固執しなくなった分、霊的な意味での幸せつまり真理の探究という興味が年を追うごとに強くなっているということなのだろう。

肉体の衰えさえなければ、こんなふうに気持ちが変わってくるというのも素敵なことだなぁと思ったりもしている。


*本日もお読みくださいましてありがとうございました。おかげさまで元気にしております。お気遣いいただきました皆さまありがとうございます♪
by m_alchemia | 2009-05-19 21:43 | 日々の想い