地上での「真実」

昨日の「論語」の続きだが、

他人の才能や長所を見つけることが上手な人は
同じように自分の中に埋もれている可能性を発見することも上手なのではなかろうか。

相手の事情や葛藤を理解し、思いやりの心を持ち、その上で
その人の中に素晴らしい部分を見つけることのできる能力は
同時に自分の中にあって、まだ眠っている可能性をも引き出させる。

私はといえば、まだまだ人のことも、自分のことも責め続けている。
先は長い。

大切なのは自分が「今」見ているもの、感じているものが
真実ではないし、すべてではないと知ることだ、と思っている。

今の自分のレベルでは、そのようにしか感じられないというだけのことだ。

本当は変わらずまぁるい月が、自分の目には日によって
どうしても三日月に見えたり、ときには全く見えなくなってしまうこともある。

「そう見える」だけであって、事実とはほど遠いのだよ。
・・・月が教えてくれるものは深遠だ。

地上では真実というのはそのくらい、こちらの都合で見え方が変わってしまう
ものだということは心しておきたいと思っている。

私は全く腹をたてないということなど到底できないし、
他人に対して腹をたててそれをぐっと抑えられるということすらもできないほど
私という人間は出来上がってはいないのだが、

せめて自分という人間はその程度のレベルなのだと自戒するくらいの
思いをもって腹をたてたい。

そう思えば他人のことを思いやれる寛容な自分が少しは育っていくように
思うのだが・・。
by m_alchemia | 2009-01-28 20:09 | 日々の想い