丁寧に思い切った剪定をする

丁寧に思い切った剪定をする_d0011725_9362189.jpg色とりどりの紫陽花が咲く。私は写真のような「墨田の花火」や山アジサイが好きだ。

枝が相当伸びきっているので、花が終わったら剪定をして少し横にボリュームが出るようにと考えてもみる。

紫陽花は気をつけないと翌年の花が咲かなくなってしまうのでその前にきちんと本で確かめて・・。

剪定の方法を本で確認する時にいつも思うのだが、「えっ、本当にこんなに切ってしまっていいの?」とびっくりするくらい刈り込んでしまう。たとえばセージも「葉っぱが少し残るくらいにして刈り込みましょう」とある。特に我が家のような狭い庭は気をつけないと本当に生い茂るだけ茂って花数も少なく、人間が歩くところがなくなってしまう。

人生においてもこの「刈り込み」作業は確かに必要だ、と思う。
それも自分がイメージするよりもはるかに思い切った剪定が必要だ、ということだ。

ただセージのような花は根っこはきちんと残し、葉もほんの少し残しておく。そうすれば決して枯れることはない。人生を「花数多く」美しいものにするためには、時にはそういったことも必要なのだろうと思う。

「横に横に広げていけばいつかは深まっていくだろうと思いがちですが、霊的な探求にあっては絶対にそうはなりません。意志をもって下に掘り下げよう、確立しようとすることが必要です。」というお話を先日うかがった。

広げすぎた枝葉は適度に刈り込み、本来の花を咲かせ、実がなるようにしなければならないということなんだろうなぁ。

でもとりあえず、今は紫陽花を楽しむ季節。
by m_alchemia | 2006-06-09 09:59 | 日々の想い