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夏の終わりに

小渕沢から戻ってきて久しぶりの休日であった昨日、せっかくなので夏の最後にどこかへ遊びに行こうということになり、彼(コオ)と映画を観に行きました。

映画は「新しい人生のはじめ方」。主演はダスティン・ホフマンとエマ・トンプソン。大人の恋愛物語です。派手なストーリーではないですが、出演者の演技力の高さによって自然に惹きこまれ、感情移入ができました。上質な映画でした。すでにこの夏にDVDが出ているようなのでちょっと落ち着いた雰囲気に浸りたい方は是非。(^^)

映画は映画館で見るのが好きです。自宅でDVDを観ればもっと多くの映画が観られるのは分かっているのですが(観たいものはたくさんあっていつもチェックはしているのです)、観終わった後の余韻が味わいにくいのが私にとっての難点です。

DVDで映画を観ると、観終わった数分後にはメールのチェックをしたり、明日の準備に追われるといったことにどうもなりがちで、そんな自分の性格を考えれば、少なくとも映画館で見れば、家に帰るまでの間はその余韻に浸りながら、それも彼と二人で観れば映画の感想を語り合ったりして味わうことを楽しめるので、その点が気に入っています。

この数年は特に人生に「余白」という部分を多く取りたいという気持ちが強くなっています。キャンパスいっぱいに描けるだけのものを詰め込むのではなく、余白を「描くようなつもりで」一日の出来事を効果的に、あるいは人生のテーマをシンプルに絞っていきたいと感じるのです。

余白は単に何もないということだけではなく、文章における行間や、音楽における間合いといったものにも、そこに意味と味わいが含まれていると感じます。

余白の効果というのは芸術においても、あるいは人生においても大きいのではないかと、そんな風に思っております。

さて、昨日は映画を観終わった後、彼が一度行ってみたいと言っていた「コメダ珈琲店」へ行って(^^)、帰宅後は「デイズ鵠沼」の定番ランチ、スイートアジアンライスを再現してみようということになり、二人で試行錯誤の末、まあいい線いっているんじゃない?という具合の夕食を家族で楽しみました。

残暑は相変わらず厳しいですが、早朝に仕事をしていると、風はもう秋の気配が十分に感じられます。この夏もおかげさまで十分に元気に楽しく、味わい深く過ごさせていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。



*本日もお読みくださいましてありがとうございました♪
by m_alchemia | 2010-08-31 07:59 | 日々の想い

エルヴィスのメッセージ

アーユルヴェーダのサロン「ルミエール」を開いている友人の山下久美子さんのブログに
エルヴィス・プレスリーからのメッセージが掲載されていました。

エルヴィスは熱狂的なファンがいつもとりまいて、肉体が地上を離れた今になっても
その勢いを失うことがないと聞いています。

友人もエルヴィスの大ファンです。
私は彼女からエルヴィスは非常に真摯な態度で霊的探求をし続けた人で
愛読書はマンリー・P・ホールの「象徴哲学体系」であったと聞きました。

(「象徴哲学体系」は全4巻で、錬金術、カバラ、古代の密議などについて書かれています)

そのエルヴィスのメッセージなのですけれど
読んでいて本当に心があたたかくなって、安心とそして勇気をもらいました。
読んでいるとなんだか涙が出てきそうになるのです。

彼のファンは今でもこの彼のあたたかさ、優しさを感じ続けているのだろうと思いました。

久美子さんの承諾を得て、ご紹介させていただきます。


 ・ ・ ・ ・ 


「迷うのはいいことだ。迷うだけ迷い、いつか迷うことに疲れる瞬間が来るだろう。
その時空を見上げるといい。 

大きく息をして風を感じるといい。

立ち止って、道端に咲いている花に目をやるといい。
君の家族や友達の顔を一人一人思い浮かべるといい。

そうすれば、それら全てのものが君に一番いい答えを教えてくれるだろう。
そうしたらそれらに感謝を伝えて、ただ踏み出せばいい。

後の事はその時の君の想いがうまくマネージしてくれるだろう。 

いいかい、君が心配しているらしい問題、経済的なこと、
仕事のこと、家族との人間関係の事、
その他諸々のことは今の君の想いに従って刻々と現象化されていくものだ。 

仕事にあぶれ、お金に困り、家族とうまく行かなくなっている
自分なんてまだどこにもいやしない。 そうだろう? 

君がしなくてはならないのは、今幸せでいること、今喜びに溢れていること、

いま君が君の大好きな自分でいること。それだけだ。」



*本日もお読みくださいましてありがとうございました♪
by m_alchemia | 2010-08-27 08:36 | 日々の想い

余韻

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小渕沢の知人宅に滞在中に、テーブルの上にあった中村天風さんの本が目に留まりました。

初日に本をとって眺めた時にはあまり言葉が心に入ってこなかったのですけれど、最終日になって再び本のページをめくったところ、一つ一つが「声」となって私の心に響いてきました。

お休みをいただいている間に固くなっていた頭と心がほどけてきたのかもしれません。
面白いことだなと思いました。



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文字が「声」になって体の中に入ってくるという体験はこれが2度目です。
1度目は今年の初め、平山郁夫氏の「ぶれない」という本での出来事でした。
(これはとても良い本でした♪)

読み進めていくうちに、私の中で男性の声で語られていくのです。その声がどんどん大きくなって、本を読んでいるはずなのに、平山氏が目の前で自分に語りかけてくれているようななんとも不思議な感覚になりました。





d0011725_21394025.jpg今回の中村天風氏の本も、同じように男性の声になって本の中から飛び出してきました。

その中で最も印象的だったのは
  「たとえ明日死ぬことになっても 今日幸せになって遅いことはない」

という言葉でした。なんと力強い言葉なのだろうと思いました。

  「たとえ明日死ぬことになっても 今日幸せになって遅いことはない」

という男性の力強い「声」が私の体の中で衝撃として響き渡りました。

今もそれが余韻として残っています。

この言葉が私の何を変えていくのか見当もつきませんが、何かへの覚悟というのか、自分の中の何かが確かに固まったというそんな気持ちがしています。





*本日もお読みくださいましてありがとうございました。(写真は8月15・16日で行った戸隠です)
by m_alchemia | 2010-08-22 21:30 | 日々の想い

夏休みをいただきました

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6日間の夏休みをいただいて小渕沢近くに住む友人宅へ避暑に出かけてきました。ここ数年は桂の塾の夏期講習もあり、なんだかあわただしい夏休みでしたので本当に久しぶりにゆっくりした夏です。 




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友人の家であるログハウスにはもう10年以上ものあいだ、年に数回お世話になっています。冬は薪ストーブの前で、夏は家の外のテーブルにお茶とノートとペンを持ち出して、あれこれと思考の整理をするのが私にとっての幸せな時間です。





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自然の中で何時間もかけて本を読んだり、アイデアを紙の上に並べて組み立ててみたりといった作業をします。今回の休暇は、この何の予定もないまっさらな時間のほとんどを9月にスタートするタロット基礎クラスと、タロット実践クラスのカリキュラムを書いては修正し・・といった作業にあてていました。

きっといいクラスになると思います。(^^)





d0011725_2294813.jpg緑が多い中に咲く花はやはりどこか生き生きとして見えます。素顔で咲いているといった感じで、それがまたなんとも美しいなと思います。

そんな花たちをみていると、ああ私もこんな感じで咲けばいいのだなというふうに思えてくるのです。

標高のさらに高いところではコスモスも咲いていましたしススキも風に揺れていました。どんなに暑くても秋は着実に近づいているのですね。



*本日もお読みくださいましてありがとうございました♪
by m_alchemia | 2010-08-18 22:37 | 日々の想い

ある日の夜中に考えたこと

数日前のことなのだけれど、夜中に突然目が覚めた。

目が覚めた瞬間というのがとても面白くて

「自然に続けられる人が、ものごとが続けられる人なんだ」という言葉で
 
はっとして目を開けたのだ。

時計を見ると午前2時。私は寝ながら何を考えていたんだろうか。。。(^^;)

思い切り目が覚めてしまったので30分ほどそのことについてあれこれ考えてみた。

他人をみていると毎日続けていてすごいなぁ・・などと思うことがよくあるのだけれども、本人からすると続けようと意識しているわけではないのだろう。継続が苦手な私にも毎日続けていることはある。食事をすることであったり、出がけにお化粧をすることであったり、寝る前に必ず本のページをめくることであったり、お湯を沸かしているようなちょっとした時間にフラメンコのふりを確認することであったり、などだ。

きっとフラメンコを踊らない人にとっては、私が毎日家の中で踊りの確認をしているときくと、すごいなぁと思うことがあるかもしれない。

実際にはコツコツ継続で上達を目指しているわけでも何でもなくて、ただやらないでいることの方が難しいということが人には必ずあるということだ。少なくとも私の場合には、だけれども。


そしてそんなことを考えつつ、またひと寝入りをして朝を迎えたら、図書館からメールが届いた。

「あなたがご予約された『なまけもののあなたがうまくいく57の法則』(本田直之著)が届きました。」

これもシンクロというのだろうか。思わず苦笑してしまった。この本は私が昨年の10月くらいに予約をした本だ。リクエストが多くてなかなか順番が回ってこなくて、ほとんど忘れかけていた本だ。

この本にはものごとが続けられない人が、いかに自然に継続できるようにするにはどうしたらいいのかが書かれている。書店で立ち読みできるくらいの分かりやすい本だが、あえてそれをせず待っていた。

読み終わって、要するに、と思ったのは
継続をすることが苦手な人は自分が「なまけものである」と認めることがすべてのスタートになるということだった。私がこの本を書店で手に取らなかった、(たぶん)一番の理由は、自分が「なまけものである」ということを認めたくなかったからだと思う。

どこかに「私だってやればできる」という思いがあって、ただ疲れているだけ、ただ時間がないだけなんだと思いたい自分がいる。

だから明日になればできるはずと思いたくなる。努力をしたくなる。努力をすればできるんじゃないかと思う。でも努力をしてもできない。

だって本当は「なまけもの」だから・・である。
自分が明日になっても自分であるように、「なまけもの」は明日になっても「なまけもの」なんだな。(^^;)

自分が「なまけもの」なのだと自認したあたりから、生活の中で何かが変わった。できるだけ手を抜こうとして積極的に工夫をするようになった。どうやら「なまけもの」は楽をするための工夫なら喜んでやろうとするらしい。

以前はこの工夫に抵抗があったのだと気づいた。
つまり、「わたしは『なまけもの』じゃないんだから工夫なんかしなくてもできる」と思いたい自分がいたからだと思う。だから工夫じゃなくて、努力で目標を達成したいと願ってしまうのだろうと思った。

そして、そうした工夫のうちのいくつかは功を奏して、続けようとしなくても自然に続くようになった。人の心って面白いなと思う。「認めない」ということが、どのように内側のブロックとしてはたらくのかを垣間見た気がした。

私は自分の中に埋め込まれている「努力」というものの正体を見極めたいと思っているのかもしれない。

努力をしなければ成長できないというのは、真実なのだろうか。

夜中の一言以来、そのことをなんとなく考え続けている。



*本日もお読みくださいましてありがとうございました。
タロット「実践」クラスは両クラスとも満席となりました。

8月12日~17日までお休みをいただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
by m_alchemia | 2010-08-12 07:41 | 日々の想い

矯正としての占星術

週末の2日間、先月に引き続きイシス学院の占星術のクラスに参加しておりました。

占星術の本を読んでいると、どうしてもわからなくなることがありました。それはそもそもの占星術が存在することの意味、つまり何のためにこれがあるのかということでした。そのことは人は何のために地上に生まれてきたのかという哲学的な問いにつながることでもあります。

本には占星術がいつ頃生まれたのかとか、地球の公転や自転などによってこのホロスコープが出来上がるといったようなことは書かれていますけれども、その存在の理由について触れているものにこれまで出会ったことがなかったのです。

講義の中で繰り返し伝えられたことは「ホロスコープはそこに原因と結果を読むものではなく、目的と手段を読むものである」ということでした。

ここにこういう星の配置があって(原因)、ゆえにこういう事態が起こる(結果)という読み方をしている限りホロスコープは本当には使いこなせない、ということです。

これは地上における人間の唯一の目的は「神(宇宙)と一つになること」であり、そのために幾度も地上に生まれて自己の霊性を高めようとしているという古代からのグノーシスの考え方に則っています。フラワーエッセンスの世界では「人間は霊性をもとめる地上の存在なのではなく、地上の体験をしようとしている霊的な存在である」と教わりますが、まさにそれと同じことであろうと理解しています。

すなわち、この地上でどのように幸せに生きていくのかが究極の目的ではなく、地上での体験を終えたときにあちらの世界でより良く生きるために、あるいは少しでも自分の霊性を高めるためには今生をどのように生きていけばよいのか。そのためにあるのがホロスコープであるという考え方です。

そのような見方に立った時に、私たちが過去生においてどのような生き方をしてきたのか、ゆえに今生でどのような自己を矯正するために生まれてきたのか(目的)、そしてそれをどのような分野・どのような方法でそれを矯正していけばいいのか(手段)が書かれているのがホロスコープである捉えることができます。

星の配置のせいで自分の人生の幸せ不幸せが決まり、その運命から逃れられないというのではなく、何故自分がこの星の配置を選んで生まれてきたのかという視点で世界を捉えることができるようになります。

そうするならば、おそらく個々のその星の配置図は不自由なものでも怖いものでも人生を悩ませるものでもなく、「神と一体になる」ための一つの宝の地図のようなもので、それによって人生をより積極的に生きていくことができるようになると感じています。

もっとも従来のいわゆる星占いにみられるような「今月のおひつじ座のあなたは○○な星周りにあるので××に注意しましょう」という原因と結果という読み方に自分が慣れてしまっているので、頭では理解がいきましたが、本当にわかって自分と他人のために使いこなせるようになるまでに少し時間がかかりそうです。

ただありがたいことにフラワーエッセンスやタロットの世界と共通する錬金術思想を背景に持つために、私にとっては上記のような考え方がさほど違和感のあることでもなく、その人のホロスコープを参考にしながらフラワーエッセンスによってサポートを図るということ(それが私が目指すところなのですけれども)に対しての感触をつかめたことはとても大きいと感じています。



*本日もお読みくださいましてありがとうございました。
 8月12日~8月17日までブログ更新も含めお休みをいただきます。
by m_alchemia | 2010-08-10 07:58 | 日々の想い

仕事部屋

我が家ではクーラーをつける習慣がないので、夏のあいだは窓は常に開けっ放しだ。
幸いにして風が気持ちよく抜けるので、
雨が降って窓を閉めなくてはならないとき以外はそれほど暑さを感じることはない。

家で仕事に使っている部屋は6畳でさほど広くはないが、部屋の窓からは空も見えるし、富士山も、夕日も見える。大きな木が手が届くくらいのところにあって、それが風にゆれてさらさらと心地よい音を奏でている。

その部屋で「あ、今年はじめての蝉が鳴いた!」とか「今日の鶯、なんか鳴き声がヘン??」などといいながら特に夏は早朝からこの部屋で仕事をしている。

部屋の隅でミニチュア・ダックスのビビアンがごろんと一日中横になっている。

桂は今年ようやく夏期講習から解放されたので、のんびり学校の宿題と読書をしている。(今は村上春樹に夢中♪)その桂もたまに開けっ放しになっている仕事部屋に入ってきて、本の話や学校の話や、今日のご飯はなに?といった会話をしてはまた出て行く。

これがクラスや個人セッションがない日の我が家の夏であり、夏休み。(^^)

今日は立秋だと、さきほど桂が教えてくれた。

空が少しずつ高くなっていく。
日も少しずつ短くなっていく。

それらもこの部屋から毎年のように感じてきた。今年ももうそういう季節に入ってきたということか。

自然を身近に感じつつ、家族とともに日々を過ごせることのありがたさを思う。




*本日もお読みくださいましてありがとうございました。
タロット「基礎」クラスは満席となりました。「実践」クラスの日曜日クラスは残席があります♪
by m_alchemia | 2010-08-06 11:27 | 日々の想い

夏の季節を


  「知ることは、感じることの半分も重要ではありません。
  子供たちが出会う事実の一つ一つが、やがて知識や智慧を生み出す種だとしたら
  さまざまな情緒や豊かな感受性はこの種を育む肥沃な土壌です。

  幼い子供の時は、この土壌を耕すときです」

みやざき中央新聞」に沈黙の春の著者、レイチェル・カーソンの言葉として紹介されていました。

どんなにいい種を蒔いても土壌が豊かでなければ健やかに育っていかない。
それは人間であっても同じことなのだという当たり前のことを再確認しました。

私の子供時代はどんなだったかしら、私は桂をどんなふうに育ててきたかしら。

私たちの知覚はどうしても視覚に頼りがちで、おそらく聴覚がその次にきます。
味覚、触覚、嗅覚となるとどんどん割合が少なくなっているように思います。

その五感をフルに使って感受性を優れたものにすることが
「豊かな土壌」を作ることになるのでしょう。

自分という花を咲かせるには、土が必要です。
自分という土壌を豊かなものにすることは子供でなくとも大切なこと、と思います。

自然の中にはいって、鳥の声を聴き、草の匂いを嗅ぎ、風が渡るさまを見るような、川や海の水に触れ、星を眺め、あるいは大自然の恵みを堪能するような、そんな夏の季節を子供たちも、そして大人たちも過ごせたらいいなと思っています。




*本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

タロット「基礎」クラスの土曜日クラスに1名空きが出ております。日程詳細・お申し込みはこちらから。
by m_alchemia | 2010-08-05 14:13 | 日々の想い

ゆみちゃん

7月下旬に小学生の頃によく一緒に遊んだゆみちゃんの家に母と行きました。
母は何度かゆみちゃんには会っていますが、私がゆみちゃんに会うのは30年ぶりくらいです。

ゆみちゃんとは同じクラスになったことはなかったのですが、家が近所でよくお互いの家に上がりこんでいました。ゆみちゃんの家の玄関脇にある物置も遊び場の一つで、とても懐かしいです。(^^)

10年くらい病気がちでほとんど家にいたということでしたが、先日会ったゆみちゃんは子どもの頃と全く変わっていなくて、明るくて、よく人に気を使い、基本的にポジティブで、そしてたくさん話をしてくれました。

わぁ・・全然変わっていないなぁ、と思ってちょっと感動していたら

「みほちゃん、昔と雰囲気が全然変わってないね!」と言われて、そのことにとっても驚いてしまいました。

私が自覚している小学生時代の私はもっとおとなしくて、もっと人の動向に左右され、なんだかはっきりしない子どもだったように思っていたからです。社会人になって、結婚をして、子どもを育てて、今の仕事をしていく中で私はずいぶん変わったきたと、成長してきたと感じていたのです。

ゆみちゃんは「そんなことないよ。みほちゃんは昔から頭がよくて、考え方がしっかりしていて、今と変わっていないよ。確かに今の方が前より堂々としている感じはあるけれど、同じだよ」といいます。

頭がよくて・・・というところはゆみちゃんの勘違いだとは思いますが、同席していた母も横で笑っているだけでなんのコメントもしなかったので、母も同じようなことを常日頃感じているのかもしれません。

結局いろいろやってきたけれど、昔から私はこうだったんだねぇ・・・

なんだかふっと力が抜けました。

そうなんだねぇ・・・ということは、きっとこの先もずっとこうなんだよねぇ。

私は一体どうなろうと思って頑張っていたのかな。
そう考えたら、なんだか自分のことがおかしくなってきました。(^^)

この夏、ゆみちゃんに会えたことは本当によかったなと思っています。


*本日もお読みくださいましてありがとうございました♪
by m_alchemia | 2010-08-04 08:47 | 日々の想い

発表会

今日は桂のバイオリンの発表会を見に行きました。

桂は小学校5年生の時に自分からバイオリンを習いたいと言い出し、そして高校生になった今も辞めずにレッスンに通っています。

普段はあまり家でバイオリンを弾くことがなく(・・・というよりも家に誰もいないときにしか弾かないそうです。だから私が聴いていないだけかも?)、私も桂はプロになるわけではないだろうから、自分なりに音楽を楽しんでいるのならそれでよいと思っているので、そのことをあまりうるさく言うことはありません。

たまに「バイオリンは弾いていて楽しい?」と聞くと、「うん、楽しいよ」というので、そうやって今まで来ましたが、発表会も近くなるとさすがに私や彼(コオ)が家にいても練習するようになりました。

ビバルディ作曲の協奏曲イ短調第1楽章。
本番もそれなりにしっかりまとめて、たくさんの拍手もいただきました。(^^)

桂の演奏は、本人が弾くことを楽しんでいることが伝わってくる演奏で、私はいつもそれをちょっとうらやましく思います。

ところで発表会では3,4歳くらいから年配の方までがピアノや、バイオリン、オカリナ、フルートなどを演奏しました。小さい頃からやっている人、大人になってから始めた人とさまざまで、そしてそれぞれが音楽を生活の中に取り入れて人生を豊かにしている姿は素敵です。

本人も一生懸命なら、それを見守っている家族の方も見守る姿が真剣です。
そんな光景も昔から変わらず、あたたかくほほえましい感じでした。

8月。私も秋の定期演奏会に向けて、そろそろ本腰を入れようかという気になりました。(^^)


*本日もお読みくださいましてありがとうございました♪
 9月開講のタロット実践クラス・木曜日クラスは満席となりました。
 日曜日クラスは残席2名です。
 
by m_alchemia | 2010-08-01 21:37 | 日々の想い