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夏越の祓い

今日は午前中にいらしてくださったお客様から、
「大きな夢を持つことの大切さ」のお話を伺いました。

できるだけ大きな夢をもつ。何故ならその方が自分がぶれないからだと伺ってなるほどその通りだなぁと。遠くの目的地を見失わずに歩いていけば途中に細かないろいろなことがあっても前に進んでいかれそうです。

大きな夢をもつ。そしてそれをあきらめないことだ、と。

夢は目標ではないのでしょう。そこがポイントなのだと思います。
だからとても大きくていいのだと思いました。

大きな夢に向かって、現実的な小さな目標を定めて。。

たくさんの人に幸せになってほしい。
だから今はこの仕事を成功させるんだ、というような。(^^)

夢をもたない目標は自分を迷子にさせてしまうし、苦しくなったときに何のために自分が苦しい思いをしているのか分からなくなってしまうようにも思いますし、夢だけあって現実的な目標がないと生きている実感も得にくくなるように思います。

夢は大きく、(でも目標は段階的に)
感謝を忘れず、そしていつもいつも楽しく。

そうすれば夢は叶うそうですよ、と教えていただきました。

ありがとうございました♪

お話を伺っているときに今日は上期の終わりだと気がついて、
神社におまいりして人形(ひとがた)をおさめて参りました。

6月30日は夏越(なごし)の大祓いです。

この前半をしっかりと締めて、また気分一新スタートを切りたいと思っています。


*本日もお読みくださいましてありがとうございました。
by m_alchemia | 2009-06-30 17:07 | 日々の想い

夏本番

高校受験の進路相談が、学校でも塾でもなされる時期にさしかかっている。

桂の周辺の中学生事情はさまざまな個性であふれかえっている。

電車や飛行機が大好きで休みの度に東京駅に向かう子や羽田空港に写真を撮りに行く子供たち。ヨット競技の予選を通過して、本選出場のために夏休みに海外にいくという同級生。昨日はテニスの全国大会に出場するために一週間学校を休んでいる子がいると、桂が言っていた。

学校の部活動に参加せず、あえてサッカーのクラブチームや野球リーグ、スイミングスクールや体操のクラブに所属する子も珍しくない。そこからのスポーツ推薦で高校受験を考えている子供たちも何人もいる。

桂と同学年ではないけれどもサーフィンやテニスでプロを目指すために定時制の高校を希望している人もいると聞く。彼らは決して学力的に全日制の学校に入れないというわけではないという点でも以前ではあまり考えられなかったことのように思う。

その一方で国立や難関私立に果敢にチャレンジしていく子供たちもたくさんいて、そんな中で彼らは夏本番を迎えようとしているところだ。

進路指導の先生たちも大変だ。担任の先生は、もし留学をするのなら早めに言ってください。英語で調書をかかなければならないので、とおっしゃっていた。

中学生に限らず、一人一人の個性や自我といったものを強めていく方向に全体が流れている感覚がある。

これはエゴをなくしてすべてが一つにつながっていくという感覚とは対極にあるようにも思うけれども、一つ一つの個性が極まってこそ、すべてが一体となっていくのかもしれない。

そのどちらもが強まって調和された世界が創られていくのだろうと感じている。

桂は桂で、これまた家具職人になることを目指して、またひと味違ったユニークな進路をとろうとしているところなのだが、彼ら一人一人が自分の個性を活かしつつ世の中に羽ばたいていって欲しいし、世の中を変えていってほしいなぁと思っている。

心から皆を応援しています。頑張れ~♪(^^)
by m_alchemia | 2009-06-29 21:00 | 日々の想い

頑張ることは好きですか?

今月のフラワーエッセンスの中級クラスで「頑張る」ということについて皆で話をしているのだけれども、この話題をあげるようになってから、私の中にしきりに湧いてくる「声」は頑張ることへの恐れに対してのコメントが多い。

なので自分の中でいろいろと整理しているのだが、
要するに「頑張りすぎてストレスがたまると病気になる」という強い思い込みがたくさんの人たちを恐れされている、ということなのだ。

何かにチャレンジしたい、手に入れたい、そのために頑張りたいという欲求は
人間のもつ基本欲求に近いものではないのだろうか。

けれども最近は「頑張ることはよくないことで、頑張りすぎるとストレスがかかる」ということがあまりにも強調されすぎて、それがいけないことであるかのように認識されているように感じることが多い。

クラスやセッションでも
「頑張ることはよくないことと分かっているんですけれども、どうしても頑張りすぎてしまうんです」
「以前頑張りすぎて体を壊したことがあるので、できるだけ頑張らないように努力しています」
とお話される方が非常に多いことが気になっている。

頑張りすぎると体を壊す、というのは雨にぬれると風邪をひくというのと同じくらい不確かな言葉であると知っているのは大事なことだと思う。

「雨にぬれる」ということと「風邪をひく」ということの間にはなんの因果関係もない。そうでないと雨にぬれた人は全員風邪をひかなければいけない話となってしまう。

それと同じように「頑張る」ことと「体を壊す」ことにも因果関係はない。

それよりも「頑張ったり無理をしたら体を壊すのではないか」という「恐れ」と、それなのに頑張ってしまう自分への「罪悪感」の方がよほど深刻な事態を引き起こすように感じている。

結果、中途半端な頑張りと、それに伴う不満足な結果に対するフラストレーションが自分を苦しくさせてしまう。そういう悪循環が過去の自分の中を振り返っても如何にたくさんあることか。

気持ちよく頑張って、頑張った自分を気持ちよく褒めて、ご褒美をあげる。
その方が精神衛生上にもとてもいいように思うし、才能の伸ばせるし、自信ももてるのではないかなぁ。

そして、もし健康を損なうことがあったとしたら、それは本当に「頑張った」ことが原因なのか、頑張り方に問題があったのではないか、あるいはそれ以外の人間関係やその他の問題ということはないのかをきちんと見つめることも必要だとも感じる。

私は人が何かに向かって頑張っている姿というのはとても美しいものだと思う。

真剣なまなざしも大好きだ。

同時に結果を出すということにもすごくこだわっている。
その辺で彼(コオ)からは外見は女性でも中身は男だねぇ・・と苦笑されてしまうのだけれども、
私が結果にこだわるのは結果を出すことによってのみその頑張りが報われる、と日頃から思っているからだ。

「成功するまで頑張り続ける」。
それは頑張り続けていないとだめだといっているわけではなく
成功したら、その頑張りが全部報われるからなんだと私は思っている。



*本日もお読みくださいましてありがとうございました♪ 
今日はちょっとクラスの続きのような勢いの内容になってしまいました。
今日も一日よく頑張ったなぁと自分にいってあげたいと思います。(^^)
by m_alchemia | 2009-06-28 21:33 | 日々の想い

カーナビつきの車でも運転するのは自分

どうしたらいいのか、を考えさせようとするのは思考の罠だ。

思考はまず、どうしたいのか、どうなりたいのかを考えるために使いなさい。

そしてそれを決めたなら、後はただ直感に従いなさい。

ふと湧いてくる「あれをしておいた方がいい」「ここへ出かけた方がいい」「これはやめた方がいい」などというものにただ従っていけばいい。

それら直感に対しては絶対に面倒がったり、おっくうがったり、躊躇していてはだめだ。

勇気をもって、そして自分に対しての厳しさをもって望むことだ。

                                             ・・・Rish

望んだだけですべてが手に入ったらこんな楽なことはないよねぇ、と思っていたことがある。

しかしこれは2つの点で間違っていた。

1つは「望んだだけで手に入る」というのはやはり正しいということ。

もう1つは決して楽ではないということだ。

これは最近とくに実感しているのだけれども、はっきりと望んだ瞬間から、いろいろなアイデアが湧いてきたり、人から連絡がきたり、あらたな情報が舞い込んできたりで、それら一つ一つを検証し向き合っていたら、まあなんと忙しいことか。時間がいくらあっても足りない。

それで少しくらい手を抜いてもいいかなぁ、と思うとすかさずRishから面倒からずに、臆せずに取り組めといわれる。

まあ、車にカーナビがついていて、行き先を入力すれば目的地への行き方は教えてくれるけれども、結局は自分が周囲に注意を向けながらハンドルを握りアクセルを踏まなければどこへもいけないということですね。(^^)
カーナビが右!と言っているのに面倒がって直進していたらやはり目的地には着かないのだから。

だから今の私は「何かを望んだら必ず手に入るけれども、その分人生は忙しくなる」という認識を持っている。
それに耐えうる気力、体力を身につけているのはとても大事だし、小さい用事はできるだけさっさと片付けてしまいたいと強く願っている。そうでないとあっという間にやるべきことが山積みになっていってしまうからだ。

人生に対して楽観的というのは楽というのは全然違うものなんだなぁ。と思うこの頃。(^^;)


*本日もお読みくださいましてありがとうございます♪ 今日も元気に一日を過ごさせていただきました。感謝。
by m_alchemia | 2009-06-27 21:42 | 日々の想い

平安の笛の音

梅雨の晴れ間のいいお天気でした。
今日はお休みをいただいたので、家でゆっくりPCに向かっています。

源博雅(みなもとのひろまさ)の龍笛」のCDがかかっています。

源博雅は「陰陽師」にも出てきた平安時代の有名な人物ですが、彼は笛の名手であるだけでなくいろいろな和楽器の演奏家であったようです。

このCDはその源博雅が書いたといわれる最古の楽譜を解読、再現したものだそうです。

龍笛や笙の音を聴いていると心のざわめきがすっと静まっていきます。特に今日のような日に窓を開け放って風に揺れる、さわさわとした木の葉の音と共に聞いていると、まるで博雅が野に立ってそこで笛をふいているような、そんな映像が浮かんでくるようです。

懐かしい気持ち、自分は日本人なんだなぁという気持ちなります。
な~んにも考えずに、ただその音に身を委ねるというのも、特に疲れたときにはとてもいいように思います。(^^)

陰陽師といえば安倍 晴明(あべのせいめい・はるあきら)とのやりとりを綴った「はるあきら」を少し読みました。

私はヨシュアやRishをどうしても思い出して勝手に疲れてしまうので、(たぶん彼らから目をそむけたい自分がいるのだと思う。メッセージが厳しいことが多いもので。まあ、私がいい加減過ぎるのだけれども。。。^^;)少ししか読んでおりませんけれども、彼(コオ)いわく「いい本だったよ」ということでした。


*本日もお読みくださいまして、ありがとうございます♪
by m_alchemia | 2009-06-26 16:23 | 日々の想い

いつかのいい日のために・・

昨日、数ヶ月前にいった山元加津子さんの講演会のことを思い出していました。養護教員として子供たちに接しながら、多くの本を書き、また各地で講演をされている方です。

私はこの方の本を読み、また実際に講演会に出向いて、この人はなんてあたたかい人なんだろう。なんてまっすぐで素直な人なんだろうと、すごく大きな衝撃を受けました。

今年の初め、この人に出会えたことは本当に大きかったなぁと振り返っていたところに郵便物が届きました。私がいった講演会を主催なさったチームひまわりさんから、講演記録として冊子が送られてきたのです。とてもビックリしました。なんていうタイミングなのでしょう。

講演会でのお話はどれも心を揺さぶられたのですけれども、その中のひとつが記録として書かれていたので少し長いのですけれどもご紹介したいと思います。人の中にある愛の力の大きさにいろいろなことを感じさせたれたお話です。

文章をそのまま掲載させていただきますが、多分山元加津子さんもチームひまわりさんも、たくさんの方に子供たちのこと、宇宙の秘密のことを知ってもらいたいと願っていらっしゃるのではないかとも思いますので、ご了解いただけると思っています。心からの感謝を込めて。
山元加津子さんのブログ「いちじくりん」にも掲載されています。

・ ・ ・ ・ ・

「大好きはうれしい?」  山元加津子 

しょうくんは高校二年生でした。
ずいぶん小さいときから、しょうくんは肉以外は口にしませんでした。

おうちの方も、学校でも、もっといろんなものを食べて欲しいと思って、野菜やお菓子、他のいろいろなものをすすめるけれど、しょうくんは決して食べようとしませんでした。

無理に食べさせようとすると、しょうくんは、キーというような高い声を悲しそうな様子で出して、そして、大きな声で電車の駅を始発駅から言い続けました。

そしてそのうちに真っ青になってバタンと倒れてしまったり、そのショックから何日も肉さえも口にできなくなってしまうのでした。

そのとき、しょうくんは高校二年生でした。一緒に組んだ男の先生が「このまま卒業させていいんですか?おいしいものはいっぱいある。僕は少々荒療治でも、他のものを食べさせたい。何もしなくていいのですか?」と言いました。

そしてその日の給食で、しょうくんに野菜をすすめ、しょうくんの口に野菜を持っていこうとしたときに、しょうくんは自分の手で頭を打ちつけ、大きな声で電車の駅を言い続け、抱きしめてもしょうくんは駅を言うことをやめられず、バタンと倒れてしまったのでした。

その次の日にお休みをするかなと心配をしたけれど、しょうくんが学校に来てくれました。
そして朝、しょうくんは、私に尋ねました。

「大好きはうれしい?」どうして、そんなことを尋ねたのかな?わからなかったけれど、「そうね、大好きはうれしいよね」と言いました。

「嫌いは悲しい?」続けて聞くしょうくんに「そうね、嫌いは悲しいね」と言いました。しょうくんは「どうしてですか?」と言うのです。
「どうして、大好きはうれしくて、嫌いは悲しいですか?」
私は答えられなくて「本当ね、どうしてだろう」と言うばかりでした。

給食のとき、ちょうどその男の先生は他へ出かけていて、私としょうくんで食事をとっていました。いつものように肉を食べていたしょうくんは私に、そんなことを言ったことがなかったのに、「かっこちゃんは、しょうくんがキューリ食べたら嬉しい?」と聞くのです。私はまた「そうね、うれしいなぁ」と言いました。

そのあと、私は、お昼休みに児童生徒会があったので、しょうくんに「食べ終わったら食器片付けて、教室へ言ってね。ごめんね。今日は私、先に行くね」といいました。児童生徒会は休み時間いっぱいありました。

五時間目がはじまって、教室へいくとしょうくんがいないことに気がつきました。あれ?まだ教室にいるのかな?時間に正確なしょうくんが遅れるなんて・・・と不思議に思いながら教室に行ってもしょうくんの姿はありませんでした。

廊下を歩いていると、しょうくんが駅の名前を言い続けているのが聞こえてきました。あ、大変。声のする食堂へ入っていったときに、しょうくんは、お箸の先にキューリをさして、口に持っていこうとしていました。私はそこに立ち尽くしてしまいました。

しょうくんは何度も、口に持っていこうとして、また駅の名前を大きな声でいい、震えていました。そしてとうとうキューリを口にいれて、急に吐き気がしたのでしょう。オエーという音でキューリが口から落ちました。それでも、まだしょうくんは、やめようとしませんでした。駅の名前を言い続けながらキューリを口に入れました。

思わずそばにいって「しょうくん、無理しないで」というと、しょうくんは「かっこちゃん、キューリ食べるとうれしい。キューリ食べるとしょうくんのことが大好きです」と言いました。私のことばでしょうくんは無理にキューリを食べようとしてくれていたのです。

「ごめんね、しょうくん。キューリを食べるしょうくんも、キューリを食べれないしょうくんも私、大好きだから」けれどもそれを聞いても、しょうくんはキューリを食べるのをやめようとしませんでした。そして、涙目になって、キューリをごくりと飲み込みました。

そして、にっこり笑って「しょうくん、キューリ一個食べました。かっこちゃん、しょうくんが大好きです」「そうよ、大好きよ。私、しょうくん大好きよ」涙が止まりませんでした。

そしてその次の日、やっぱりオエーっとなりながら、しょうくんは、キューリを2つ食べました。「しょうくんはキューリ二個食べました。かっこちゃん、しょうくん大好きです。」

そしてそれを機会に、しょうくんは野菜を食べるようになりました。
私はしょうくんが言った「どうして大好きはうれしくて、嫌いは悲しいですか?」という言葉を思い出していました。

これまでたくさんの人がどんなにしょうくんに野菜を食べさせようとしても、食べられなかったのに、しょうくんはたった一人自分の力で、キューリを食べることができるようになりました。

「大好き」がうれしいということは、生まれつき、私たちの心の中におそらくは備わったこと。私たちは大好きという気持ちのためなら、がんばれたり、ものすごく勇気が出せたりするのでしょうか?

宇宙の約束はきっと愛なんだと私、なんだかそんなことを考えています。
by m_alchemia | 2009-06-25 21:25 | 日々の想い

喜びと楽しみ

フラワーエッセンスのクラスの中で、「嬉しい」という感情と「楽しい」という感情の話題が出ました。楽しい、よりも嬉しいの方が感じやすい方とその逆の方もいらっしゃって、嬉しい時と楽しい時はどういう風に違うのだろうかという話になりました。

クラスが終わってからも改めて考えて、そして感じてみることにしました。

私の場合は嬉しいなぁ、と思ってみたり、嬉しかったことを一生懸命思い出してみるとハートの部分にエネルギーが集中するように思います。それに対して楽しいなぁ、とっても楽しい♪と思いながら気持ちを集中するとエネルギーがハートよりも下の方へ鳩尾(みぞおち)からおへその辺りに移っていくように感じました。面白いですね。(^^)

そして何かをやりたい!と思い立ったときに感じる体の感覚はやはりハートよりもお腹の方にエネルギーが集まる感じがしました。

楽しい!という気持ちと何かをやりたい!という気持ちは体の感覚で捉えるとなんだかとても近いような気がします。きっと「楽しい」は創造のエネルギーや第2チャクラとつながっているのだろうと思います。

ということは楽しい気持ちが増えてくるとやりたいことが増えてきたり、何かに夢中になって取り組んでいると楽しいという気持ちも増えてくるということになるのかもしれませんね。

感情を言葉でなく体の感じで捉えてみると面白いものです。怒りを感じているときの体はどんな風になっているだろう。ショックを受けたときの体は?(例えば体の部分が緊張するとか、ゆるむとか、熱くなるとか・・)

感情を体で感じるということは自分の内的な声を聴くことにとても役立ってくれるということを以前教わりましたが、改めてなるほど~と感心している次第。(^^)


*本日もお読みくださいましてありがとうございました♪
by m_alchemia | 2009-06-24 20:56 | 日々の想い

真剣に楽観的になってみる

ここ数日「楽観的」という言葉が妙に気になっている。

タロットの講座にご参加くださった方はすでにご存知と思うが、
マルセイユタロットの図像の中に木星を表すものがいくつか現れる。

先週末のタロットの初級コースの際に、ある方のカードの展開の中にその木星を表すカードがいくつも出てきて、「質問の件に関して楽観的に捉えることが、つまりお金のことなどあまり心配せずとも大丈夫なように思います」というリーディングを相手の方がされたのだ。

まさに本当にその通りというリーディングだったのだが、それが何故今頃になって気になり始めたのかというと、この大アルカナ22枚は人が霊的に成長をしていく修業の過程を表している曼荼羅なのだけれども、そのプロセスの中にこんなにたくさんの「木星=陽気、楽観的気質」が出てくるのだなぁ、と今さらながらに驚いたのである。心に響いた、といってもいい。

今までずっとクラスで説明をしてきたことであったのに、どうして気がつかなかったのだろう?

自分がどれだけものごとに対して楽観的にかつ積極的に取り組めるか、
どうしたら鷹揚に構えてものごとをみることができるのか。
そのことはもっともっと真剣に考え、取り組んでみてもいいテーマのような気がした。

いつでもどこでも楽観的になれるということは、
自分がそれだけ霊的に成長できたということにもなるのだろう。

内的に成長できたら楽観的になれるわけではない。
楽観的になれたら、自分が一歩前に進めるということをタロットは伝えているのではないだろうか。

そんなことを考えていたら、駅で同じ中3生を持つ方に数年ぶりに出会った。
「けいくんも公立の高校を受験するんでしょう?学校は統廃合されてまた来年も少なくなっちゃうのに、来年は子供の数が今年より3000人も多いらしいよ。だから公立受験も落ちる子が多くなるみたいだから、お互い大変だね~。」

へぇ、そうなんだ。知らなかった。彼女は本当に心配そうに見えたが、人数が多かろうが少なかろうが、勉強しなければ落ちるし、していれば行く高校ぐらいあるだろう。。。と、そこまで考えて、ああ楽観的というのを試されたな、と気がついた。

たまにあるのね、こういうお試しが。(^^;)
抜群のタイミングで私に駅で出会ってくれた彼女に感謝♪
そして、彼女のところのお嬢さんもきっと大丈夫。心配ないわよと心の中だけれども思ってみる。

なんというか、今まで以上に「楽観的」というものに大真面目に取り組んでみたくなった。

そうしたら、一体何が変わってくるのかなぁ。
そう思うとちょっと楽しい気持ちになってきた。(^^)


*本日もお読みくださいましてありがとうございました♪
by m_alchemia | 2009-06-23 20:48 | 日々の想い

初心忘れず

何かの本の中にあった一文が、その後数日どうにも引っかかってしかたがない。

どの本にあったものなのか忘れてしまったので引用ができないのだが、「たとえ壁にぶち当たったとしても、最初に自分が立てた目的を全うすること。初心忘れるべからずである。」というような文章だ。

「初心忘れるべからず」というのは世阿弥の有名な一文なのだが、本当に初志貫徹というような意味なのかなぁ・・・、「どんなに偉くなっても最初のころを思って謙虚さを忘れない」という意味ではないのかなぁ、私はずっとそんな風に思っていたのだ。

それで一応インターネットで調べてみようと思い立った。
すると、なんと 「初心忘るべからず」とは「初心のころの未熟な考えや技をいつまでも捨てない」という意味だとある。(そういう意味もあるということか?)

「 役者の年齢による、その時々のもっとも旬の演技を常に忘れず、芸の種類、幅として保持し、いつでも披露できるようにすること。初心、若年のみずみずしい舞台姿、青年期のはつらつとした芸、中年期の円熟、壮年期の老成した芸。世の能役者、これらすべてを、年齢と芸位の進歩に従って、以前の芸を恥じては捨て、捨てては忘れしてしまうことを世阿弥は戒めている。」

これは「風姿花伝」の書の中のようで、一般に知られている「花鏡」ではなさそうだ。

現代語訳を見るに、初心を忘れないということは自分の演技の幅を持ち続けることの大切さを説いたものだった。若さゆえの芸、未熟であるが故のしぐさを捨ててしまわないこと。

どんなに歳を重ねても、初々しく舞が舞える。あるいは時として老齢の深みをもって舞えるということこそ豊かな舞であるということを世阿弥は言いたかったのだろうか。

初志貫徹ではなかったが、いつも未熟であったころを忘れずに謙虚にという意味でもなかった。何でも気になったものは調べてみるものだ。(^^;)

おかげで世阿弥の言葉では「秘すれば花」も好きな言葉だが、「初心忘れず」もとても心に残る言葉となった。
by m_alchemia | 2009-06-22 16:05 | 日々の想い

ただ喜んで享受する日々

今日は夏至の日であったけれども残念ながらの雨の一日。
今年は何故かずっと夏至を気にしていたようにも思う。自分としては珍しいことだ。

さらに今週は新月とあって、今年前半を振り返ると共に
後半をどんな風に過ごしていったらいいかしらとビジョンクエストのカードを一枚引いてみる。

カードはJOY。喜びだった。

今手にしているものに感謝をし、生きていること自体の喜びを享受する。

「そのことのために無理やり何かに働きかける必要はないのです」・・・というような内容だ。

ところで、昨日新しいTVが我が家にやってきたので今さらだけれどBSの番組というものを初めてきちんとみた。楽しいし、綺麗だし、これはしばらくPCに向かう時間がぐっと減りそうな予感。(^^)

先ほどボリビアのウユニ塩原の番組を見ていた。
雨が降った後の幻想的な世界。満天の星。100キロにわたる真っ白な塩の世界。

自然というものはこんなにも想像を絶する美しいものなのだということに感動してTVにかじりついていた。
ちょうど仕事から帰って来るときも珍しく靄がかかって普段と違う景色に気持ちが和らいでいたのだけれど、新たに創造するものでない、今すでにこの地上にあるものがこんなに美しいということがなんだか私をほっとさせていた。

今はただそれら美しく豊かなものをを受け取って、味わって、本物の喜びを感じていかれたらいいなぁと思う。

なりたいものがとくにあるわけではない。

ただあるとすれば深い感動を味わえる、そんな人生をこの後も送っていかれたら幸せだ。今はただ、そんな風に自分の将来を捉えているのだが。

*本日もお読みくださってありがとうございます。週間天気予報ではあまり晴れマークが見られませんね。週末はイシス学院で講座に入っておりましたが、梅雨時ほど家の中はすっきり爽やかにしておきたいので、このところ外出続きだった分、今週はお掃除に徹しようと思っています♪
by m_alchemia | 2009-06-21 23:07 | 日々の想い