<   2005年 06月 ( 20 )   > この月の画像一覧

あなたに会えて

知り合いに勧められてヨモギ蒸に行った。私はヨモギ蒸だと思っていったのだが、正確にはYOSAというハーブ蒸で、お世話になったNさんにはハーブ蒸の後にアロマのマッサージもお願いできた。

友人いわく「それがね、前世とか分かっちゃう人なのよ。ヒーリングっていうの?それをしてくれるの。美保ちゃんならそういうの専門だから分かるでしょ?とにかく行ってみてよ。」

専門と言われても困るし、私は自分の前世に興味があったわけではないのだけれど、その施術をしてくださる方からこんなことを言われたというその表現にとても愛を感じたので、どんな方なのだろう、お会いしてみたいなと思ったのである。

「心を無にしてマッサージをしているといろいろなことを感じるんです。」

そのときに出てくるものが何だかは全く分からないけれどそれは本人の潜在意識が必要としているもののようだと事前に伺った。歌かもしれないし、お経かもしれないし、口笛かもしれないし自分でも分からないと。

Nさんはマッサージをしながら

誰か 誰か私を導いて
もっと清らかに生きて生きたい
もっと人に愛をあたえていきたい

と歌ってくださった。それが自分の心が言っていることだと分かって、なんだかとても気恥ずかしくなったのだが、その直後になかなか取れなかった右側の凝りがとれたのが分かった。不思議・・・。自分の願いはどこかに受け取ってもらえたのかもしれない。ほっとしたような凝りの取れ方だった。

そして最後にNさんはこう歌った。

あなたに会えてよかった
今とても幸せ
ありがとう
いろいろなことがあったけれど
やっとあなたに会えて本当に嬉しいの

Nさんは施術の後、「私たちは昔からの知り合いだったようですね」と柔らかな笑顔で言ってくださり、私も多分そうなのだろうと感じていたのでその後二人でいろいろな話を楽しんだ。

実はこの歌についてはもう一つ別のことも思っていた。

この歌詞の内容はそのまま私が「やすらぎの部屋」でお会いする方たちに(そして私の家族にも)いつも感じていることだ、と。

だた会えたことが嬉しくて、それが本当に幸せだと。
たとえば仕事で、本当によくお越しくださいましたと私が言うとき、それが心の奥底からこみ上げてくる感じがすることが多いことを思い出していた。

私はその方にお会いしたくて、この「部屋」で待っているのだろうと。会えること自体が本当に嬉しくて、幸せで、本当にありがとうと言いたくて私は「部屋」にいるのだということを直感した。

この歌はそのまま私の心の内である。そしてそれだけしかないのだと思った。

Nさんからはメッセージも前世についてのコメントも何もなかった。

ただ、「あなたに会えて私は本当にしあわせ」それだけだった。
それでいい、と思った。

肝心のハーブ蒸ではびっくりするくらいの汗が出て、そして肌も滑らかになった。普段から目の周りの筋肉が緊張していたのか、目がいつもよりぱっちりと開いてなんとなくいつもよりちょっぴり美人になったような気もして、嬉しい。

そして体脂肪をはかる体重計で体年齢が24歳と出た。わぉ!(笑)
今の体重計ってこんなこともできるのね・・・

いろいろなことが嬉しい初体験だった。
by m_alchemia | 2005-06-29 18:42 | 日々の想い

脱皮

d0011725_715179.jpg玄関前でに水をまいていたら、奇妙なものが庭木にまきついていている。彼を呼んでそれをとってもらったら、蛇が脱皮をした後の皮だった。

120㎝ほどの長さで頭の部分から尻尾の先まで綺麗に蛇の形をしている。
蛇の脱皮をする様子をイメージしてみた。
こんな感じだろうか?
途中から蛇のことではなく、自分の脱皮を考えていた。

こんな風に綺麗につるんと脱皮をしたいなぁ。
心も体もつるんと一皮むけてみたい。
脱げそうで脱げなくて、脱いだつもりがまた着込んでいたり。(苦笑)

やれやれ・・

生まれてはじめて蛇の抜け殻をみてちょっとドキドキしている私に
彼はいいじゃない?守り神だよ。と言った。

暑い夏。生き物たちも見えないところで少しずつ成長をしている。
私もしっかりと今年の夏を乗り切っていこう。
by m_alchemia | 2005-06-28 07:32 | 日々の想い

不完全さの役割

フラワーエッセンスはもともとバランスを保つということをテーマにしている。バランスを欠いているということは何かが多すぎるか少なすぎるかという状態を意味するので、一体何のバランスを欠いているのかを見極め、それを正す方向にエッセンスを選んでいく。

ところでタロットカードの中にも四玄徳(しげんとく・・・中世ヨーロッパで言われる4つの徳。正義、節制、力、智慧をいいます)の一つである正義の女神が天秤をもっている。「ユングとタロット」という本の中でこの正義の項を読んでいたときにも「陰陽の両方がなければ天秤そのものが成り立たない」という記述が出てきたように思う。

その天秤を思っていたときにふと子供の頃から抱えてきた問いが再び浮上してきた。

「私たちは神を必要としているが、神も私たちを必要としている」とはどういう意味なんだろう?

こういう表現をたまに目にするがこれが本当のところ何を言っているのかがよく分からなかった。神がこの世を実現するためには肉体をもっている私たちが必要なのだという補足をいただいたこともあるが、それでも自分の中で何か腑に落ちないものがあった。

しかしこの「ユングとタロット」を読んでいる中で神のもつ「完全さ」と人間の持つ「不完全さ」というものによってある一つの天秤を支えているのかもしれないということが直感のようにして降りてきた。自分の中を光が通り抜ける感覚だった。

そう思えたらものごとすべてがいとおしく、自分の不完全さがいとおしくすべてを抱きしめたい気分に駆られた。

神の完全さを支えるものが私の不完全さの中にあって、それが「完全な天秤」を作ることに役立っているという不思議な構図。

私はようやく自分を許し、愛せそうな気持ちになっている。

朝から何やらとても哲学的になってしまった。(笑)
by m_alchemia | 2005-06-27 07:44 | 日々の想い

幸せな時間

このブログを始めようと思ったそもそものきっかけはイギリスに行けると決まった時点で「それだったら写真を載せたい」と思い立ったことにありました。ですからブログをきっかけにたくさんの方との交流をもつことができたのは予想していた以上の大きな喜びと感じております。

今回コメントの中に「幸せの時間」という言葉を拝見してあらためて私はたくさんの幸せの時間をいただいているのだなぁ・・と感じています。こうしてブログを書いていることもそうですし、家族で食卓を囲むこともまたしかり、です。

「幸せな時間」をもつためには家族でいることも大切ですし、自分の時間や生き方を求めることも大切で、その天秤の両方をもっていないとその「幸せ」は感じられないのかもしれません。

家族の時間を大切にするために、自分の時間や世界を大切にする。いい仕事をしたいからこそ、プライベートを充実させる。

逆に自分の人生を豊かにしたいからこそ、家族との関わりや、仕事での人との関わり一つひとつを大切にする。

常に両方の天秤の皿にのるものについて同じように意識を向けていく。そうすることで「幸せな時間」という天秤そのものがようやく成り立つ。そのように感じています。
by m_alchemia | 2005-06-26 07:49 | 日々の想い

ヨーヨーマだ!

マンドリンアンサンブルの練習から帰ってきたら、ブログを読んでいた彼(コオ)がヨーヨーマのCD「コダーイの無伴奏チェロソナタ」をレンタルしてきてくれていました。嬉しい!早速聴いています。

この人のチェロはチェロの域を越えているような気がする・・。
by m_alchemia | 2005-06-24 22:06 | 日々の想い

静けさの中で

d0011725_22253220.jpg夏至と満月のあったせいか、この6月中旬波が引いたような静けさを自分の内に感じている。エネルギーが社交性を求めるよりも内に向いていて、内面の探求にはちょうどよい。そんな時節なのかもしれない。
イギリス旅行とレポート提出のあわただしさが一段落してキッチンに立っている時間が長くなった。そんなある日、桂が私の横に座って料理の本を眺めていたときのこと。

「何か食べたいものある?今度作ってあげる」と聞くと、桂は料理の本を一冊、最後までめくり終わった後で「えーっとね、お豆ご飯。」といった。色鮮やかなグリーンピースご飯である。

桂は私が今日のご飯何にしよう?と聞くとたいていはカレーとかシチューと決まって答える。けれどたまにこうしてゆったりとした時間の中でたずねると、カレイの煮たやつ、とか里芋の煮たやつ、とかほうれん草のごまあえとか天ぷらうどんなどと答える。絶対に「カレー!」などとは言わないのだ。

おもしろいものだな、と思う。確かにカレーもカレイもどちらも彼の好物ではあるのだけれど、この2つの間には何か違う次元のおいしさを感じているのではないかな、と感じたりもする。ゆったりした時間というのは食の好みも変えるのだろうか。

ところでグリーンピース。こんな時期に出回っているだろうかと思いきやスーパーの入り口に山になって売っていた。我が家の「お豆ご飯」はグリーンピースと酒と塩しか入らない定番のシンプルなもの。三人で一気に食べた。おいしかった。
by m_alchemia | 2005-06-23 22:23 | 日々の想い

ブラームス

ミュージカルバトンをいただいてから、自分の人生の中を駆けていったたくさんの音楽について考えていた。好きな曲や思い出のある曲はいろいろあるけれど、「思い入れのある曲」となるとそう数ははない。いろいろな曲を思い返しているうちに彼と昔「自分の葬式にかけてほしい1枚のアルバム」について話をしたことがあるのを思い出した。

グレングールドの「ブラームス間奏曲集」。この気持ちは今でも変わらない。(変わらないのに「バトン」の質問に対して上げなかったはこれが「1曲」ではなく「1枚のCD」だっだからである)

グレングールドの「ブラームス」を聴くと、音楽とは弾き手によってこんなにも変わってしまうものだと思う。それを初めて教えてくれたアルバムだった。クラシックなので楽譜としてのアレンジがあるわけでもない。だからクラシックは誰が弾いてもあまり違いがないと思っていた当時の私の価値観をこのCDはみごとに変えてくれた。

グレングールドという人物そのものにも惹かれた。彼が弾くいくつかのアルバムを聴いたけれど、彼が弾く中では私の意識を変えてくれたということもあってやはりブラームスが一番思い入れが強い。

このアルバムにはしっとりとした雨の日が似合う、と思う。
午後からは湘南の雨も上がってしまったが今日はめずらしく自分でブラームスをかけてみた。

弾き手によって作品が変わるという点では、名前は忘れてしまったが有名なピアニストが弾いたショパンにも同じ感銘を覚えたことがある。

ピアニストである梯剛之さんをとりあげたTV番組の中で、梯さんが感銘をうけたショパンということでその曲が流されていた。息をするのも忘れそうなほど美しい響きの曲だった。こんなショパンがあったのだなぁ・・。自分が知っていたそれとば全く違うものだった。ショパンが弾いたってこんなに美しくは弾けなかったのではないか、と思った。

お店に行ったらそのピアニストの名前が思い出せるだろうとも思う。久しぶりに、というより実現させたら結婚以来初めてになるが、自分のためにCDを探しに行ってみようかしらとそんな気持ちになっている。
by m_alchemia | 2005-06-22 15:40 | 日々の想い

Musical Baton

ともやんさんからmusical batonなるものをいただきました。初めての言葉でしたのでちょっとともやんさんのブログからそのまま引用させていただきました。

■概要
海外のブログに端を発する音楽に関する企画。
音楽に関するいくつかの質問が「バトン」として回ってきたら自分のブログ上でこ れらの質問に答えて、次の 5 人を選びその人にバトンを渡すというルール。

■ 質問
Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイ ルの容量)
Song playing right now (今聞いている曲)
The last CD I bought (最後に買った CD)
Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、ま たは特別な思い入れのある 5 曲)
Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す 5 名)

お答えできるものだけを。ちなみに「今聞いている曲」は小田和正の自己ベストのCDです。朝は山下達郎がかかっていたかしら?かかっていた、というのはたいてい家に彼がいる限り音楽をかけるのは彼だからで、彼がいる限りずっと音楽はかかっているからです。そのときによってエンヤだったり、ロックだったりボサノバだったりいろいろです。

「最後に買ったCD」は昨年スペインのモンセラートで彼へのお土産用に買った聖歌隊のCDです。

「よく聞く曲」はそういう意味で結婚してからは全く持って彼次第。けれどそのおかげでたくさんの素敵な曲を知りました。結婚前からホールアンドオーツとSADEが好きで、それがかかっているとちょっと嬉しい。そして「特別な思い入れのある曲」をひとつだけ上げるなら「ムーンリバー」です。彼との大切な思い出がこの曲にあるからです。

一人でいるときは自分でギターやピアノを弾かない限りは静寂を楽しみたいので音楽を流すことなく過ごしております。
なんと主体性のない音楽生活!(笑)

バトンをお渡しできる方は思い当たりませんので申し訳ございません。けれどいろいろと思い出にふけってみたりと楽しめました。(バトンを受け取りたい方はどうぞ受け取ってください)
by m_alchemia | 2005-06-21 22:13 | 日々の想い

完成!

FESの認定プログラムのレポートが書きあがりました!A4の用紙で約50枚。多いのか少ないのかはよく分からないところですが、よくぞ仕上げたとその達成感にしばし浸っております。このまま気持ちよく提出といきたいところだったのですが、生憎FESには英文で提出となっているので、今は翻訳をしてくださる先へ原稿を回したところです。いろいろな方面でご協力をいただいた皆さまに心からお礼を申し上げます。

ところで1年前の植物研究レポートの際はその対象を考えた時、瞬時にドクダミの花が頭に浮かびました。そして今回、この認定プログラムを仕上げるにあたり物語などに出てくる人物のアーキタイプ研究という課題がありまして、これを誰にしようかと自身に問いかけた結果、浮かび上がったのがジャンヌダルクでした。

ドクダミがひらめいた瞬間は「これだ!」という嬉しさがあってワクワクと書いていたのですが、ジャンヌダルクがイメージの中で浮かび上がったときは「えっ!これなのぉ・・・?荷が重いなぁ」という感じがありまして、それは仕上げる最後まで続きました。

自分で好きな人物を選べばいいことなのですが、不思議なことにこういう有無を言わせない何かの力というものが働くことがごくまれにあります。今回は私もかなり往生際が悪く、イメージが浮かんでからも約1年間抵抗していたのですが、結局ジャンヌ以上の「これだ!」というひらめきを得る人物が全く思い浮かばなかったので、なかばやれやれという気分で書き上げました。

どうしてジャンヌが嫌だったのかというと、彼女が火刑にあったという重苦しさを感じながらそれを文章にまとめていくことの憂鬱と、FESのリチャードとパトリシアの二人から私のレポートの内容についてつっこまれたらどうするのだ??という不安があったからです。できれば彼らがあまり知らない人物で穏便に仕上げたかった。。恥ずかしながら、かなりの小心者。(笑)

レポートがほぼ仕上がる頃、FESからダメ出しをもらうことがあるらしいというお話をある方からうかがいました。えっ!そうなの?ああ、なんてこと!でもレポートを書き始める前に聞かなくてよかった。ここまできたら勢いで出してしまうしかない・・・。というわけで、翻訳の仕上がりを待っているところです。(苦笑)
by m_alchemia | 2005-06-20 22:26 | 日々の想い

ドクダミ

d0011725_22155229.jpg昨年長野で行われたFESインテンシブセミナーから約1年がたった。昨年提出した植物研究の題材にしたのはドクダミの花。湘南オフィスの部屋を貸してくださっている大家さんの庭から1本拝借してレポートに仕上げた。そのドクダミの花を記念に残しておきたくて、自宅の庭に植えておいた。繁殖力が強いので少し躊躇したのだけれど、せっかくなので植えてみたのだ。

今、そのドクダミが自宅の庭で花を咲かせている。
あれから1年がたったのだ。あっという間のような、いろいろあったような、不思議な感覚である。

それにしてもドクダミの花はなんと美しいのだろう。ずっと傍にあってほしいと思うほど、私はこの花の姿もその独特の香りも大好だ。

ドクダミの花は教会の裏庭にひっそりと咲いているようなイメージがあって、白い4枚の花びらが十字架を彷彿させる。天に向かって真っ直ぐに突き出ている中央の部分には剣のような強さを感じて、可憐なのだけれども凛とした趣をそこから受け取ることができる。確か、そんなことをレポートには書いた。

花をいろいろな角度から感じてみるのは楽しい。花と心をつなげてみるのは思ったほどには難しくはない。
by m_alchemia | 2005-06-18 22:32 | 日々の想い