愛する方法

私はどうしようもなく悲しくなると、おそろしく無表情になる、らしい。
その態度を退屈だし、愛がないし、一緒にいる相手にとって不誠実だととる人がいることを知っている。

「あなたといるとつまらない」
申し訳ないと、その都度思う。その都度ごめんなさいという。そして私は自分の事をおそらく人が言うように退屈で、愛がなく、不誠実な人間だとどこかで思ってきた。

けれども今の私は本当は自分に感情がないのではないことを知っている。感情があるからこそ、無表情でなくてはいられない時があるということを今の私は知っているのだけれど、それを肝心の相手に理解してもらうすべを持つにはあと何年くらいかかるのだろうと、その間にどれだけの人を悲しませてしまうのだろうと、そんなことを思う。

田口ランディさんのブログを読んでいた。

「辛い体験は、そう簡単に人に話せるものではない。だから、退屈だったという感想はたぶん間違いではないし、それを世間がバッシングするのもおかしな話だと思う。(中略)

ただ、子供たちに伝えるときは、もし退屈だったとしても、それは相手の側にだけ原因があるのだ……という傲慢を教えないでほしいとは思う。もし、自分を退屈にさせない人だけに価値を見いだすなら、それこそ世界はなんと退屈だろう。与えられたものしか楽しめない。そうしたらいつかきっと世界に絶望するだろう。生きる喜びを見失うだろう。

退屈に感じたのなら、なぜそう感じたのかについて考えてみる。証言が紋切り型だというのが原因なら、なぜ証言が紋切り型になったのかについて考えてみる。どんどん、考えてみる。そういう思考のなかで、人にとってとても大切なものが見えてくることもある。新たに発見することもある。学校に教えてほしいのはそういう学び方なんだけどなあ。世界は外側にあると同時に、自分の内側にあることを、若い人たちに教えたい」

長い引用になってしまった。。

心を開いて感情を表現しない時があってもいい。それを聞いて退屈だと感じてもいい。けれどもそこで終わってしまうのではなくて、そこからが始まりなのだと。自分や相手を評価して終わってしまうのではなく、「どんどん考えてみる」ことで「人にとってとても大切なものが見えてくる」こともあるのだと。

そして私にとってはここが大切なところなのだけれども、退屈させている側から言っても自分のことを理解してくれる人だけに価値を置いていたら、それこそ世界は退屈なものになってしまうのだと思う。

考えることには終わりがない。終わりなく考え続けられるのは相手や世界との関係に愛を感じているからだろうと思う。だから私は心がイテテ・・と感じてもどこまでも考える。それが私の愛の表現の仕方の一つなんだろう・・と思うからである。
by m_alchemia | 2005-06-14 20:55 | 日々の想い