以心伝心

最近運動会や、PTA集会など学校に関する用事が増えている。先日は朝の登校指導の当番だった。交通安全と書いてある黄色い旗をもって「おはようございま~す!」と子供たちに声をかけるのである。ついでにといってはなんだが私は前を通る中学生、カップルの高校生、通勤へ急ぐ皆さまなどといった方々にも同じように声をかけることにしている。

中高生をはじめ、意外にもみなさん声を返してくださるので嬉しいな、と少しばかりいい気分を味わわせていただいている。

言葉と言えば先日児童数の少ない中学校の校長先生が、人数が少ないと人間関係が限られたものになり、それと同時に単語で会話をしても通じてしまうところがある。せめて教師に向かってはきちんと最初から説明をするようにと指導をしているが、実際には難しいというようなことを話していた。

つい最近まで、私もよく分かっていなかった。

以心伝心というと聞こえはいいが、言葉を使って伝える能力を育てることも大切なのだろうと思う。私自身、言葉を介さないコミュニケーション(たとえば相手の表情やしぐさから相手の思いや要望を読み取るというようなこと)の方をずっと得意として生きてきた。今でもその方が楽である。

世阿弥の「花伝書」だったか、記憶が定かではないが「世の中に自分(の才能)を認めさせるのも能力のうち」というような言葉があったと思う。

理解してくれないと嘆き、あるいは理解してくれないと相手を責め立てる前に、自分がどれだけ伝えよう努め、その能力・テクニックを磨こうとしているか。「伝えたい」という思いは大切だがそれだけではだめなのである。

子供たちが「だまっていても自分を理解してくれる人がいい人(友人・親・教師)である」という考え方をする気風がずいぶんと広がっているように思う。それはある意味で間違っていないけれど、片手落ちだ。

相手を尊敬しつつも、ある種の気概をもって自分を主張していく能力を身につける。
そのことに気づかないと本当の自由は手に入らない。
それができて初めて「以心伝心」が生きてくる。
by m_alchemia | 2005-10-21 10:32 | 日々の想い