汝、画れり。

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不思議なもので、この2日間で3回も論語の同じ文章に出会いました。
シンクロの見本のようです。(^^)

その言葉とは

「子曰く、力足らざる者は中道にして廃(はい)す。今(いま)女(なんじ)は画(かぎ)れり」

でした。

意味は・・・

孔子の弟子である冉求(ぜんきゅう)が、「先生の教えを学ぶのはとても楽しいのですが、
自分の力不足でどうもついて行けそうにありません」と述べたのに対して

孔子が「力の足りないひとは進めるだけ進んでそこでやめればいいのです。
しかし、あなたはいま、自分で自分に限りをつけましたね。そこが大きな問題なのです」

と、答えたというものです。

どうしてこの言葉がシンクロしたのだろうか、と考えています。
いろいろと思案した結果として、私は何かに「全力で取り組むこと」が怖いのだと思いました。

全力で取り組んで出来なかった時の自分を観たくない。
本気でやってもこんな程度、という自分を知るのが嫌なのだと思います。

全力で取り組んで成功すれば最高に幸せなのですが
全力で取り組んで失敗した時の自分はもう最高に惨めだなぁという感じ。
・・・そんなイタイ自分は味わいたくない、というのでしょうか。

適当に力を抜いていれば、本気でやらなかったからだと言い訳も出来る。
本気でやればきっともっと行けたにちがいないと自分に夢を持たせることもできる。

だから自分を画(かぎ)る。
そうやって自分を守っているつもりになっていることを、あなたは分かっていますか?

・・・と、言われているんだな、きっと。(^^;)

今回の地震、そして津波によって、1000年に一度しか見られない
自然界の本気の怖さをみたような気がします。

すべては呼応しているという意味では、
一人一人の中にもそれだけの大きな力が眠っているということになります。
自分の中に想定外の自分の力が眠っている、ということです。

自分を画(かぎ)らなかったら何ができるか。

「力の足りない人は進めるだけ進んでそこでやめればいいのです。
しかしあなたは今、自分で自分に限りをつけましたね。そこが大きな問題なのです」

進めるだけ進んでそこでやめてもいいつもりでやろうとしているのか。
最初から自分を画(かぎ)ってしまった中でやろうとしてはいないだろうか。

進めるだけ進んで未完に終わるリスクをとるか。
初めから画(かぎ)った中での完璧を求めるか。

う~む。まあ、答えは見えているのですけれども。
正直、痛いところを突かれています。(^^;)
by m_alchemia | 2011-04-16 16:38 | 日々の想い