飛騨高山

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一週間の春休みをいただいておりました。その間に1泊2日で飛騨高山へ行く機会がもてました。暖かい日差しがわずかにさしたかと思うと、とたんに小雪がちらつくといったまだまだ春遠い高山でしたが、古い町並みや朝市などといった風情を十分に楽しめたことを嬉しく思っています。それにしても町なかを水がふんだんに流れているからでしょうか、高山は建物の外も内も埃の少ないところだなぁ、というのが第1印象でした。物腰が控えめで、丁寧で、あたたかな人柄の方にもたくさん出会いました。土地の空気がとても穏やかなので、もしかしたらその空気が高山気質というようなものを生み、そしてその気質が高山の町を作り上げているからなのかもしれません。高山陣屋の中を歩きつつ、この寒い山奥の土地を江戸の幕府が天領(直轄地)としたのは、単に材木などの資源目当てだっただけではないのではないか、何か表面的なものだけではない理由があったのではないかしらと、そんなこともあれこれと考えておりました。

丁寧さ、といえば以前ルネサンス期のボッカチオがダンテの「神曲」を自分のために書き写したもの、というものを見たことがあります。こまかい挿絵まで自らが丁寧に描いており、あまりの美しさに見とれてしまいました。そのときに私が思ったことは「私は今まで自分のためだけに何かをここまで丁寧に美しく仕上げようとしたことはなかったなぁ」ということでした。誰かのために何かを丁寧にしあげよう、時にはそれが人からの評価を得たいため、ということも子供の頃からを通じて多くあったように思います。しかしボッカチオのそれを見たときに、私がそれまでしてきたことの薄っぺらな部分をまざまざと見せつけられたかのような衝撃を受けました。

高山の町でいろいろな工芸品や古い建物を眺めているときに「ボッカチオの衝撃」と同じことを少なからず感じておりました。丁寧であることの美しさ。それは前々から感じていたことでありますのに、日々の出来事に追われていつのまにか後回しにしてきた課題でもあります。今回の飛騨高山行きはもう少し良い季節であったなら、とは思いましたけれど、今のこの時期にこのことを思い出せたという意味では良い時期に行かれたのではないかと思っています。

ちなみに息子の桂は飛騨牛がよほど気に入ったらしく、帰ってきてからも思い出しては「おいしかったね~」と言っています。高山の皆さま、お世話になりました。
by m_alchemia | 2005-04-02 22:29 | 日々の想い